労務管理は負け裁判に学ぶな

「労務管理は負け裁判に学ぶ」「裁判事例に学ぶ労務管理」などの書籍があります。勉強になる書籍ではありますが、労務の定義からすれば、やや違和感をおぼえてしまいます。

労務とは経営者が労働生産性を向上させる施策のことです。そうであれば、私がもし執筆を依頼されたら、「労務管理は負け裁判に学ぶな」という内容になります。

私は毎日、毎日、反復連打で電話、メール、面談にて労務相談にのっています。

裁判や労働審判になるのは、いわゆる「イザコザ」のなかでも、ごくわずかです。感覚的な話ですが、確率的にはイザコザのうちでも2%未満ではないかと思います。

裁判等になったとしても、特に労働裁判での和解による解決率は一般の民事事件の解決率より高いです。おおむね半分は和解で終了しています。裁判例になるのは和解で終わった事案ではなく、判決をもらった事案です。さらに、その中でも高裁に控訴し(ここではまたさらに強く和解をすすめられ)、にもかかわらず、それでも納得がいかず最高裁へ上告し、判決をもらう。これが判例として新聞や雑誌にのる。こんな事案は非常にレアケース中のレアケースといえるのです。

弁護士の先生にお願いして、相当数の労働裁判にかかわってきましたが、個々の裁判は個別・固有事情がとても強く、裁判例は真実が発見されたものではなく、労務管理の参考になるものではないと考えます。

裁判はあくまで代理人弁護士同士が裁判で勝つために、訴訟戦略上、有利な証拠を出して(不利なものは伏せて)、主張し合い、攻撃と防御を繰り返す、裁判という狭い枠組みのなかのゲームのようなものです。

会社と原告労働者だけが知っている歴史、会社の社風、入社の経緯、他社員との関係等、書面になっていないが重要な背景事情等は訴訟戦略上、依頼人に有利だと弁護士達が判断した情報以外は表に出ません。

表向きは労働裁判でしたが、「ライバル社員との争い」「社長の娘との破談による怨恨による争い」「親族を巻き込んだ相続争い」等のケースもありました。

情勢判断として、普遍性と特殊性、主流と支流という区分があります。

裁判になるのは特殊であり、支流です。世の中には何でもかんでも騒ぎ立て、人との関係を切り、又は裁判にする方がおられます。でも、これは「主流」ではないのです。

主流とは、できるだけ円満に労使関係を築きたい、裁判は避けたい、会社で頑張って良い生活を築きたい、という人たちです。

労務管理とは個別事情にあわせた経営施策ではなく、統一的・組織的な労務管理です。とするなら、主流に合わせ、その主流が会社と価値観を共有し、同じ目的・目標をもって、意欲的に働いてもらえるように条件整備する、これが労務政策であり、これがうまくいっておれば、会社はつぶれない。会社がつぶれるのは主流に対して会社が信頼関係と求心力を失うからです。たとえ、法を守っているからといって、主流に対して会社が求心力を保てるわけではないのが労務管理の難しいところです。

もちろん、ブラック社員から会社を守るリスクマネジメントとして契約関係を整備することも重要ですが、裁判例が伝える特殊・支流に目がいきすぎ、あまりにも特殊・支流に流されるべきではない。

社員のやる気を高めるには人間の本性として、

その1 お役立ち度

その2 自己決定度・裁量

その3 見通し度

です。「お役立ち度」は、自分が社会、顧客、会社・上司・同僚・仲間に貢献できているという気持ちです。「自己決定度・裁量」とはロボットのように一から十まで指示されるのではなく、目的・目標・方針に沿って自分の裁量で、自分の能力を発揮する度合いです。

「見通し度」とは、がんばれば報われる感覚のことです。会社が成長すれば己の人生も開けていく期待です。特に労務はこの「見通し度」を社員に示すことが重要で、中小企業に一番欠けているのもこの「見通し度」なのです。

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