人事評価制度に「自己評価」は要らない

自己評価の普及率

 労務行政研究所調査によると、人事評価制度にて被評価者に自己評価をさせている会社は80%を超えています。福田事務所には、全国各地の企業の人事制度の資料が保管されていますが、私の感覚とほぼ一致しています。そう、原則、人事評価制度には自己評価があるのです。私がご指導中でも、自己評価の弊害や廃止をお伝えすると、ベテランの人事責任者ほど、「先生、自己評価をしないなんてありえるのですか?」とびっくりされる方もおられます。

日本の人事制度は失敗している

 日本のサラリーマンは、先進国で最もやる気がなく、会社を憎んでいるそうです。そして、長時間労働で生産性が低い。今までの考え方・やり方、採用されている人事制度は間違っていることが多いのではないかと思うことがあります。その一つは自己評価制度です。

自己評価が広がった理由

 自己評価が広がったきっかけは「成果主義」だと思います。成果主義の建前は、目標を立てて、その達成率で給与・賞与がアップダウンすることです。アップはいいが、給与がダウンする場合、事前に本人の言い分を聞くべきだということになったのです。その言い分、つまり自己評価を表明する機会が設定されるようになりました。もちろん、目標が客観的に明確で、それについて弁明を求める機会を設けても、基準が明確なので、会社評価と自己評価のズレはあまりないはずです。ですので、自己評価を求めてもいいでしょう。ところが、「リーダーシップ」「チームワーク」「コミットメント」などの抽象的な項目で自己評価をさせると、混乱のもとになるのです。以下のような問題点があげられます。

自己評価の問題点その①

 上司評価と自己評価のすり合わせは時間のムダ

 人間の評価は3割増です。たとえば、「協調性」という曖昧な評価項目で、上司と部下が認識をすり合わせるなどは難しい。納得性にこだわるあまり、議論が紛糾します。私が駆け出しの頃、評価面談に同席したことがあるのですが、上司は「3」とつけて、部下は「4」とつけた、なぜ「3」なのか、「4」なのか、30分近く言い合いになった場面に遭遇したことがあります。少し誇張がありますが、「ちゃんとやってますよ」「いえ、ちゃんとやっていないだろう」「いえ、ちゃんとやってますって!」という漫才のような面談なのです。

自己評価の問題点その②

 上司が自己評価に引っ張られすぎる

 部下が「5」とつけて、上司が「3」とつけている。しかし、上記のすり合わせ面談を行うことが義務付けられている制度では、ほぼ、上司が部下の点数に引っ張られる。この例では、優しい上司は「5」とつけるかもしれないし、一般的な上司は「4」と中をとってつけるかもしれないのです。問題のある人ほど、自己評価が高い。自分を認識していないので、「5」とつけることが多いです。悪意のある人は、その原理を心得ていて、交渉材料として、まずは「5」をつける部下もいるくらいです。自分を認識している、まっとうな人ほど、自己評価が低くなることもあります。こうなると、人事評価制度において弊害のほうが大きいことになります。

自己評価の問題点その③

 そもそも、自己評価は人事評価制度上、無関係である

 売れない漫才師が、自分たちの漫才は日本一おもろい漫才だと自己評価していても、観客がおもしろいと思わなければ(つまり評価しなければ)売れることはありません。評価は、自己ではなく、観客、第三者がするものなのです。つまり、人事評価制度と自己評価は切り離さないといけないのです。人事評価は上司が一方的に行うもの、この原則に変わりはないのです。

いま必要なのは客観的な第三者評価の徹底

 Z世代を中心に、私をしっかりと評価してくれ、という「適正な評価を受ける権利」のようなものが強いように感じています。自己評価などバッサリ切り捨て、いま必要なのは、あるべき姿の具体的要求と事実に基づく具体的なフィードバックです。この「要求」と「フィードバック」は日々、少なくとも毎週のコミュニケーションの中核であるべきです。今ほど、具体的要求事項の明確化が必要な時代はありません。半年、1年に1回のフィードバックは確認的なものとして位置づけられるべきです。組織力の弱い会社ほど、この原則が守られていません。

 半年や1年に1回、人事評価項目に自己評価をさせて、部下の納得性を追い求めてすり合わせを行う「茶番」に、時間を費やすべきではないのです。

 本人が何を考えているか、自分をどう評価しているかを知りたいというコミュニケーション戦略として、自己評価をつけさせたいというご意向もありますが、それは人事評価制度とは別に、管理職の裁量で、本人との日常の対話のなかで聞くにとどめるべきです。

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